一覧 -2009年09月
花文化ラボ、考花学レッスンのお知らせ
まだまだ、インド帰りで頭がぼけています。
それでも、WEB更新いたしました。
花文化ラボ、中国における花器の変遷第二弾が載りました。
また、10月からの考花学クラスのレッスン内容も載せてます。
あわせてご活用ください!
辛さへの郷愁
「イタリア料理っていうとトマト味ばかりでしょ?」と訊かれると、
「いいえ、そうではないようです」と自信を持って答えることができます。
「インド料理ってカレーばかりなんでしょ?」と訊かれると、
「・・・・・・・・。」だって一見カレーとおぼしきものばかり、
すくなくともその系譜のものが多いからです。
でも、さまざまなスパイスが時と場合によって調整されており、
どれも本当に美味しい。
南インドのハイデラバードは古くからイスラム文化の影響の
強いところ。イランのほうの定番である炊き込みご飯ビリアニ
も名物料理。これもカレーをかけて食すというのがインド風です。
「ふぅ、ふぅ、辛い!」しかし食べた後、身体はとても涼しくなります
まさに生活の知恵ですね。
日本に帰ってきて、辛さから少し遠ざかっている僕ですが、
あの熱気の中で食べたビリアニをすでに懐かしんでいる
ところなのです。
また、食べたいな・・・。
「ありがとう」って思うだけで・・・
「おはよう!」と挨拶をかわしながら、仕事開始。
笑顔で仕事にはげむある人の手には「ありがとう」の
文字が書かれていました。
「これを書いておくと、なんだかいいことがたくさんあるんです。」
そういえば、とある人がいつか新聞にかいていたことがあるなぁ。
現代人は、とにかく感謝の気持ちを忘れがちだと。
考えてみれば感謝することってたくさんありますよね。
家族や友人、同僚やビジネスパートナー。近所の人やコミュニティー
の知人たち。そうそうペットだって家だって。つまりは自分が
生かされていることにも感謝する次第。
なんでもいい。感謝の気持ちそのものを忘れないようにすること
自体がとっても大切であることを手に書かれた「ありがとう」と
その人の笑顔が教えてくれました。
西郷さんの素顔
上野の山からいつも都心の方角を見守る銅像。
おなじみの西郷隆盛の像です。
一説によると西郷さんの写真はあまり残って
いないとされています。写真ぎらいだったのか、
それともあまりその機会がなかったのか・・・。
明治維新の一立役者となったのにもかかわらず、
不思議なことです。いくつかの肖像画が残りますが、
いずれも西郷さんの雰囲気を的確にはとらえていない
とも言われています。
その西郷さんの数少ない写真といわれているのがこれです。(中央の人物)
スタッフのお母様がうちで見つけた資料のなかにあった
のだそうです。
どんな人だったんだろ、西郷さん。写真の中に入っていける
としたら、真っ先に会話をしてみたい人の一人です。
心のこもった写真の授業
長年、私どもの月刊誌『Flower Design Life』の撮影、また
その他の作品の撮影をしていただいている中島清一先生を
講師に迎え花の写真を撮るための心得をテーマに講習会を
実施しました。
写真の達人からさまざまなことを聴ける本当にいい機会。
中島先生は、カメラとは、写真とはということろまで、心の
こもったお話しをしてくださいました。「いいたいことが、
伝えたいことがいっぱいあるんです」と中島先生。ただ単に
綺麗な写真をとるための要点講座ではなく、私たちに
「写真というものは、技術だけではなく熱意と愛情を
こめて撮るものである」ことを実感させてくれる、それこそ
まさに熱意と愛情に満ちたひと時になりました。
中島先生、お疲れ様でした。そして本当にありがとうございました!
また、いろいろお教えくださいね。
時は移り変わって
お隣の建物が取り壊されることになりました。
今まではあまり意識したことがなかったのですが、
50年前に当時としてはたいへん斬新な工法と様式
をもって今は亡き河合正一先生という建築家が建てられた
ものだそうです。近代建築の父、ル・コルビジェの系譜を
継ぐものだとか。
取り壊し開始の朝、ある一人の紳士に声をかけられました。
「私はあの建物を設計したかたの教え子です」と紳士。
「最後なので、ぜひ高いところから写真に収めたくて・・・。」
さっそく学校のバルコニーに一緒にあがりました。
「うん、残念ですね、でもこれも時の移り変わりというもの
なんでしょうね」と紳士は感慨深げです。「河合先生にはたいへん
お世話になりました・・・。」僕は黙ってそんな話に聞き入って、
それ以上の詮索はやめました。天に召された河合先生と教え子である
この紳士の大切なひと時の邪魔をしたくなかったからです。
時は移り変わっていく・・・。だからこそ、この由緒ある建物の雄姿は
人の思いとともに永遠に語り継がれていくのかも知れません。きっと
かたちあるものは無くなっても、その精神や心は不滅なのでしょう。
無窮花
専門学校も期末試験の真っ最中。
「自分の疑問に思った花の文化にまつわることを
調査して自分なりの見解を書いてください」という
のが僕が学生諸君にあげた課題です。
韓国からの留学生の子が「無窮花について」
と書いてくれたのですが、見慣れない花の名前。
よく読んでいくと日本で言うムクゲのことでした。
韓国の国花にもなっているムクゲ。長いシーズンを
とおして次から次へと花を咲かせるので窮する(にっちもさっちも
いかなくなる)ことが無い花というわけで無窮花(ムグンファ)
というわけなのだそうです。
絶え間なく白い花を咲かせ続けるムクゲ。自国の花を
異国に見る留学生諸君はどんな思いでこの花を見つめる
のでしょうか。
腹が立ったときどうしようか・・・
腹が立つときがあります。出来ることならば腹を立てない自分でありたい。でもどうしても腹が立つときがあります。血圧も上がるだろうし、心臓の鼓動も早くなります。周囲の人々も嫌な思いをするでしょうし、いいことはありません。
いつもというわけではありませんけれど、どうして腹が立っているのかを徹底的に考えます。「そんなの気なしなければいいじゃない?」としばしば言われてしまうのですが、考えてしまう性分なのでしかたありませんね。そうすると、面白いんです。腹が立つ理由のおよそ半分以上が自分にあるということになります。そのときの精神状態だとか、自分の態度だとか、決して腹を立てていると思っている事柄に腹を立てているのではなくその他のことが気に入らないんだとか、などなど。
だからえらそうに言うわけじゃないんですけど、「自分はどうだろう?」、「果たして自分はできているのかな?」と考えるように出来るだけするようにしています。もちろん、いつ何時もそれは出来ていないのですけれどね。そんな部分も含めて人間なんですものね。それが面白いんです。
目だった花
いよいよ秋らしくなってきましたね。ほんとにもう少しすると
毎日長袖になります。
涼しい朝風のなか歩いていると、目立つ花が咲いています。
フトモモ科のブラシノキですね。いやはやブラシノキとは
よくいったものですね。飛び出ている部分は雄しべなのだそう。
花の上にちょんちょんと葉っぱが出ているところも気になった
のです。
オーストラリアからやってきて今では日本でも越冬する能力
を身につけたブラシノキ。なんだかただ横を通り過ぎるのは
もったいないほど目だっていたのです。
keisukeのシネマ・セネバ 『レッドクリフ』
やっと観ました『レッドクリフ』二部作。
西暦三世紀の史実にもとずいた中国の叙事詩
『三国志』のなかでのハイライト「赤壁の戦い」の映画化です。
監督はハリウッドでも大活躍のジョン・ウーということで
アクションも大変派手なのだろうなと思っていたら実際
そうでした。
戦争はいつの時代も残酷。これでもかというくらい人々の
命が失われていきます。歴史ってほんとうにきれいごと
だけではないというのを痛感。
個人的には人物描写がいまひとつ突っ込めていないところ
に不満を感じました。呉の国の名将周瑜、ハングリーな独裁者
曹操が実際には主役。曹操はよく描けていたと思うのですが、
周瑜や天才軍師諸葛孔明(扮するのは金城武)の描き方が
今ひとつあっさりしていたのは残念。孔明の主君劉備や同胞の
関羽、張飛、趙雲(かっこいい)も魅力的なキャラクターなのに
も関わらずもったいないなと思いました。
それにしても周瑜の奥方小喬に扮したリン・チーリン、本当に
美しい・・・。
木漏れ日の下で
今日は公園に森林浴へ。
木が発するフィトンチッドという物質が身を清めてくれるのだとか。
そんなことはさておき、やっぱり木の下でのごろ寝はきもちいい!
木漏れ日がとってもやさしい。同じ緑でも光のあたりぐあい、透け
具合でぜんぜん違った色に見えるのが楽しい。
いつの間にかうとうとしてしまいました。こころなしか頭がすうっとした感じです。
keisukeのシネマ・セネバ 『グラン・トリノ』
自動車生産の盛んなアメリカ、ミシガン州。東洋系移民が多く暮らし
はじめた街にひっそりと住む頑固な老人が主人公の『グラン・トリノ』。
妻に先立たれた頑固一徹の男ウォルトにクリント・イーストウッドが扮します。
頑固で不器用な老人を主人公にした映画は数多くあれど、これはまさに味わい
ぶかい名作。朝鮮戦争に出兵したため東洋人に対して複雑な思いを持つウォルト
の閉ざされた心を隣のモン族(東南アジアの少数民族)出身の一家がいつしか
優しく開いてゆくのです。その過程がさりげなく描かれているのですが、その
さりげなさの塩梅が実に心地いい。
人種や風習の壁を越え、いつしか人格同士で触れ合うことの尊さや心地よさを
ウォルトに教えてくれる青年タオの存在が実に印象的。制作と監督とを努めた
イーストウッド氏は『硫黄島からの手紙』からも見て取れるように、東洋の文化に
大きな関心を寄せているようです。
あまり多くを語ってしまうといけないのですが、近年まれに見るほどの
優しさ、辛さ、そして勇気を素直に教えてくれる感動作です。観賞したあと、
しばらく切なく、しかし爽やかな余韻を感じることが出来ました。
秋風
ふうふうふう・・・。
イベントの準備で久しぶりの力仕事。
まだまだ若い人たちには負けられないとがんばって
はみたものの、限界があります。
額に汗しながらちょっと外の空気に触れたくなりました。
うん、気持ちいい!晴空の下を通り抜ける風は
もうすっかり乾いてさわやかです。なんだか汗も
すうっと引いていってしまいました。あんまり気持ちが
いいもんで、心もすっかり青空のかなたに吸い込まれそう。
秋色ってどんな色?
九月も末になると巷ではハロウィンの飾りつけ一色になります。
思えば、遠くヨーロッパに起源を持つこの祭が日本でも親しまれて
いることに驚きと面白さを感じます。
ハロウィンの色といえば、カボチャの色であるオレンジ。ということで、
オレンジは秋のこの季節を代表する色として定着しつつあるようですね。
ほかに秋の色といったらなにがあるかなぁ。フラワーデザイナーの
ひとたちと話し合っているとき、こう思いました。枯れた葉の色も
秋をしみじみ思い起こさせてくれる色であるなぁと。いや、まさしく
自然のサイクルと照らし合わせて、これほど秋という季節を印象
付けてくれる色は無いのかもしれませんね。
枯れた葉の色って、茶とも灰とも言い切れない独自の色合いです。
きっと枯葉色という新しい色目ができてもいいんじゃないでしょうか?
たとえるなら、オレンジのダリアのような人
約二十年間強にわたってマミフラワーデザインスクールに勤務して
くださった稲垣さゆり先生が本日定年退職されます。そこで、
ささやかなねぎらいの会が開かれました。
多くの教え子を輩出してきたさゆり先生は大きな笑い声と笑顔が
魅力的なかた。花にたとえるならオレンジ色のダリアなのではと
ひそかに思っています。
ぼくにも先輩としてさまざまな事を教えてくださいました。特に
印象的なのは先生として常に明るく前向きであるべきということ
を身をもって示してくださったことです。
ねぎらいの会の前後、教え子や同僚が花束をたずさえてどっと彼女の周りをとり
かこみます。さゆり先生の笑い声もこころなしかいつにも増して大きく響き渡ります。
多くの人間に慕われ、多くの人間に尊いなにかを教えて
くださったさゆり先生。いつまでもオレンジのダリアの花を咲かせ
つづけてくださいね。そしてこれからも元気をくださいね。
